ロッキーの資産運用

20代から資産運用をしてセミリタイアを目指してみたブログです

【幸福論】心の在り方について

こんにちは。ロッキーです。

 

全世界で激しいコロナショックが吹き荒れている現状で、経済の先行きが暗くなっています。この世に絶対と言えるものは絶対にないですが、これからしばらく、世界そして日本経済はほぼ停滞すると言っていいと思います。

実際にアメリカのニューヨークではコロナショックの影響をもろに受け、早速失業者が増え始めています。特にアメリカなんかは日本と比較すると、簡単に社員をクビにできます。そして貯蓄率も低くがりがり借金しています。

そんな市民の彼ら(私たち)が経済の成長エンジンであり、その稼働がうまくいかないわけですから、経済停滞も必須でしょう。まぁ私は経済学者ではありませんし、そもそも経済学者も未来のことなんて何一つわからない(わかるフリは得意みたいですが)わけですから、予測なんて意味ありませんが。

 

仮にこれから失業者が増えて、収入が減るまたは途絶えて貧しい暮らしを余儀なくされたとしてもあなたは不幸ではないし、むしろ幸運なのかもしれません。

貧しさをかみしめることは人生をかみしめることだと私は思います。貧しいと、豊かだったとき(本人はそう感じてないかもしれませんが)には感じることもなかったことに対して、幸せを感じる心を持てるようになります。

ただし、そのような心を持つことができる人はある程度素質がある人です。おそらくこの素質は生まれながらにして備わっているもののように私は思います。

一方、貧しさによって自分は不幸だとただひたすら嘆き、世の中を恨み、周りの人たちを敵視する人がいることも事実です。このタイプの人は基本自分は悪くないと思っていますから、そう思うのは当然です。

 

貧しさによって今まで気づかなかった幸せを発見できた人、逆に豊かさを奪われたと嘆き、怒り、恨み、喚く人に起こったことは「失業による生活レベルの低下」です。どちらも起きた事は同じです。ですが、自分に起こったことに対する感じ方ひとつで、こうも人生の幸福度に差が生じてしまうのです。

つまり幸福というものは、心の在り方ひとつでどうにもなるということなのです。従うべきはあなた自身の理性であって、周りの人の意見や同意ではありません。

幸せの基準、行動の基準、生き方の基準、いかなる基準もあなたの理性を使うべきです。最近はこの幸せという言葉自体が商品化されているきらいがあります。幸せの定義自体が他人によって規定されているのです。

 

私の主観では、下に挙げたこんな事だけで幸せを感じます。

・今日も生きている

・今日も健康だ(健康が一番)

・今日も体に不自由はない(なくても困らないがあったほうがいい)

・今日は晴れていて気持ちがいい(or 雨が降っていて落ち着く)

・今日も水がおいしい(飲み物は水だけ)

・今日も食事がとれる(食事は一日一食)

・今日も本が読める(本があれば満足できることを発見した)

・今日もできるだけ理性に従えた(敵は自分自身)

 

もうこれだけで私は幸せです。軽く解説すると、世界では餓死、疫病、事故、戦争、殺人、寿命、病気などで毎日たくさん死んでいます。それが今日自分に起こる確率は低いかもしれませんが、生命などの脆いものに対しては頻度なんてなんの意味もないという哲人の教えがあります。脆いものに重要なのは頻度ではなく影響の大きさです。

だから自分の人生は今日限りだと思って毎日生きるように努めています。これは簡単ではありません。どうしても人は当然のように明日も生きられると思ってしまうものですから。

幸せは心の在り方で決まると書きました。そしてこの世界で自分がコントロールできるのは自分の理性(心の在り方)だけです。他は何一つとしてコントロールできるものはありません。これは古代ローマの哲学者エピクテートスの思想です。健康だって五体満足だって自分のコントロール下にはないのです。

しかし、だからこそ、いつなくなってもいいように健康、五体満足、お金などに感謝するのです。そしてなくなったときは、なくなったと思うだけに留まるのです。そこで大きく嘆く行為は自分で自分を不幸にするだけです。あって困ることはないけど、なくても困らないという態度が肝心です。

食事も一日一食がメインです。ただし絶対ではなく、三食食べる日もあれば一食も食べない日もあります。なぜこうするかというと、3食"毎日"食べる必要はないという個人的な考えと、一日一食のほうがより食事を美味しく感じられるからです。

食べることが幸せな人にはとても真似できないでしょうし、食欲は人間を支配するとても強い欲求です。しかし食欲に負けている以上は食欲の奴隷です。逆に”栄養”のために食事を取る人は解放奴隷です。

我慢してストレスを溜め込むこともよくありませんが、過剰はよくありません。節度を守ることが理性を鍛錬することに繋がります。

こうして毎日毎日理性を鍛え続けることが今の私の生きがいにもなっています。