ロッキーの資産運用

20代から資産運用をしてセミリタイアを目指してみたブログです

【日記】2020/6/9(火)

2020 6/9

よく寝た気がした。眠いけど起き上がれるほど目覚めもよくない。二度寝しようとしたが、そこまで眠いわけでもない。結局、しばらくした後起きることにした。何だかんだこういう時間が幸せだったりする。よく寝た気がした割にはまだ7時だった。早速「多様な意見はなぜ正しいのか」byスコット・ペイジを読み始めた。第1章「多様な観点」だ。

本書では多様性を分析するための枠組みとして、1.観点、2.ヒューリスティック、3.解釈、4.予測モデルをまず取り扱う。それぞれに対して1章ずつを割き、じっくり分析していくわけだ。まずは観点からということになる。本書で言う観点を形式的に説明すると「1つ1つの物事、状況、問題、あるいは出来事を内的言語に置き換える」となる。さらにそれを写像すること(一対一写像)もまた観点と言える。私は「ある人がそれを見たりしたとき、どうとらえるか、またはどう見るか」ぐらいの認識だ。

それは必ず一致することはないかもしれないが、一致することもある。そして観点から生まれる構造は共有できる。ある人の観点を違う人の観点で見たとき、それ(問題)は簡単に解決されるかもしれないのだ。多様な観点の価値はここにある。もし、1つの問題や出来事に対してみんなが同じ観点を持ったら、それは解決できないかもしれない。つまり、問題解決には適切な観点がまず必要になってくるのだ。

 

なるほど、そりゃそうだと思ってしまう。しかし、別の出来事に別の観点を持ち込むのはそう容易くない。ある意味、本を読む価値なんてのもここにあるのかもしれない。それも様々なジャンルのものを。第1章は1時間以上読むのに時間がかかった。序章同様この本は一般人向けに書かれているとはいえ、生易しくない。文章そのものもそうだが、内容も軽く流せるようになっていない。まるで学校の授業みたいで、一つ取り残されると次の内容は理解できなくなる。特に私みたいなできの悪い脳を持っている者にとっては、これはつらい。

なんて思いながら昨日の日記をブログに転載していた。これも結構時間がかかる。紙に書いてある文字をコンピューターに打ち込めるツールなんてないのだろうか。そんな事を考えながら調べもしないこのやる気の(ある意味)ありようたるや。

 

書き終えたら「多様な意見はなぜ正しいのか」第2章「ヒューリスティック」を読んだ。まず結論から言うと、「ある現象に対する観点を箱と中身だとすると、その箱の中身の見方(無視された部分を見る)こと」がヒューリスティックだ。形式的な説明を用いると「1つの観点の中で表現される既存の解に適応され、新たな解や考えうる解の新たな集合を生み出す規則のこと」となる。ヒューリスティックは解に対して作用するのだ。問題の解決のために使うツールボックスなんて風にも言える。

しかし、ヒューリスティックはどんなときでも何に対しても使えるものではない。万能のヒューリスティックは存在しない。(順番としては)ある観点がまずあって、それに対応したヒューリスティックを見つけ出すということになる。そうなれば当然、ヒューリスティックは多い方がいいに決まっている。我々はこのヒューリスティックをある現象に対して無意識に使うこともある。野球ボールのフライをキャッチするときなんかがそうだ。あるいはゴキブリに出会ったときや、おいしい料理を作るときも各々ヒューリスティックを持っていることだろう。これらヒューリスティックを違う観点に対して使用したとき、思いがけない反応が起こったりする。革命は箱の中身を並び変える(観点の多様性)か、箱を違う見方で見ることで生まれるのだ。

革命=観点の多様性×ヒューリスティックの数

しかし、この組み合わせにたいして優れた解釈が必要となってくる。そこで多様性の枠組みの3つ目、解釈となる。

 

ああ今日はもう読書なんてできないかもしれない。そう読書後に思った。普通に疲れたのだ。近所のスーパーに牛乳とヨーグルトを買いに出かけた。ヨーグルトを作るのだ。これはヨーグルトメーカーがあれば誰でも作れる。牛乳パックにヨーグルトを適量いれ、あとは適当な温度で時間が過ぎるのを待つだけ。ヨーグルトを買うよりも安上がりなのだ。

ヨーグルトメーカーにセットした後は、昼食をとることにした。昨日作ったアボカドチキンエッグである。これとパン2枚バナナ1つを食べたが、普通にお腹いっぱいだ。こんなに食べてはまず何もできない。ということで、風呂に入ることにした。たっぷり湯船につかって、1時間ぐらいは風呂に使ったと思う。13:30から、「自発的隷従論」byエティエンヌ・ド・ラ・ボエシを読んだ。本屋で偶然見つけた本で、まずタイトルに目がひかれた。軽く立ち読みした感じではまず意味が解らなかったが、この著者はあのモンテーニュが「もう一人の自分のようだ」といった唯一無二の友人だったのだ。

なるほど、確かに「エセー」で何度か目にした気がしなくもない。という経緯を経て本書を購入した。モンテーニュの時代の本とあって(いわゆる古典)さてどれだけ難解かと思ったが、意外と内容はわかりやすい。むしろ現代向きの本として、この本は出版されたほどだ。ページ数も多くないし、むしろ注釈と解説を合わせた方がページ数は多い。

 

僕たちはたった一人の圧制者に自ら望んで隷従している。勇気がないのではなく、自由を獲得する意思がないのだ。

 私が読んだところはそんな内容だった。というのも、ほんの30分で眠気が来てしまったのだ。(本を読んで)何より驚きなのは、この内容が10代の少年の手によって書かれたということ。いつの時代も10代なんて大したことをやっていないはずなのに、大した才能だと感心してしまった。14:00からは横になって時間が過ぎていった。何もしない時間だ。寝落ちする前に起きてスマホをいじった後、「friends」のシャドーイングを行った。感覚的に聞き取れるようになってきた気がする。もちろん録音を聞いてみないと何とも言えないが。

3話やって16時過ぎたころ、録音の聞き返しを行った。今日の分ではない。録音はたまっていくばかりなので、今日は消化しようと頑張ろうとしたのだ。まず1話分が終わり、17時が過ぎたので、筋トレをして夜食の準備をしようと思った。しかし、昼食の量が多かったので、もう少し時間を置くことにした。その間何をしよう。

調度よく時間がつぶせるのは漫画だと思い「ピッコマ」で漫画を読んだ。17:30が過ぎたころ、筋トレを始めた。今日はベンチプレスとプッシュアップ。ベンチプレスを何kgでやっているのか忘れたので、とりあえず55kgでやってみた。どうやら大丈夫らしい。重くするのも面倒だったので、とりあえず今日は55kgでやった。その後、物足りなさが残るのでプッシュアップだ。これをやったら17:40~17:50ぐらいになっただろうか。

夜食を食べられそうだと思えたので、赤魚500gを焼いた。まず大きすぎる。冷凍庫にずっといると邪魔なので早めに食べたかったのだ。そんなわけで、今日の夜食は、赤魚、納豆キムチ、バナナだ。正直赤魚だけでおなかいっぱいだった。キムチもバナナも食べないとまずいので食べた。キムチは賞味期限切れだし、バナナは黒くなってジュクジュクだ。赤魚は淡泊でおいしかったが、さすがに飽きたので、途中で味変した。

 

食後は珍しくずっと会話していた。18:30ごろ食べ終わって、会話が終わったのは21時過ぎだ。軽く2時間以上ずっと話していた。内容は特に書かないでおく。

そんなわけで今日は麻雀をしなかった。録音の聞き返しも結局進まなかったが、まぁそういう日もありだろう。1つ問題だったのが、ヨーグルトメーカーにセットしていたヨーグルトの完了後、冷蔵庫にしまう時間が大幅に遅れたこと。この時間が遅れると酸っぱくなってしまう。完全に忘れていた。一応中身を確認したら、きちんとヨーグルトになっていたので、成功は成功だが。まぁ失敗したことないけれども。

逆にありがたかったのは、昼に風呂に入っていたことだ。もし入っていなかったら、21時過ぎから入ることになり、寝る時間がそれに連れて遅くなる。ニートの癖に寝る時間には多少のこだわりがあるのだ。昼頃起きるような生活は嫌なのである。

太陽とともに暮らす生活を心がける。