ロッキーの資産運用

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【日記】2020/6/21(日)

2020 6/21

最近は遅寝遅起きで、どうも気分がすぐれない。少しずつ前の日常を取り戻すべく、起きたらまずは読書を始めた。「[新訳]ローマ帝国衰亡史」byエドワード・ギボンの3章を読んだ。

輝かしかった五賢帝の時代が終わり、後から振り返ると衰退の始まりとなった時代に突入していった。それはあのマルクス・アウレリウス帝の息子、コンモドゥスが皇帝になったときから始まる。最初の頃はコンモドゥス帝でもある程度は機能していたのだが、ある事件を境に、彼は豹変していく。まさに暴君の名にふさわしい振る舞いは、多くの市民やその側近たちを恐怖に陥れた。私としては、コンモドゥス帝も悪いのかもしれないが、周りを取り巻くその野心家たちの存在や、命を落としかけた事件などの経験や環境もコンモドゥスという人格をつくったのではないかと思ってしまう。

一度血の味を覚えてしまうと、簡単に人を殺すようになってしまうらしく、コンモドゥス帝に血の味を覚えさせた人たちも多少の非はあるだろう。そんなコンモドゥス帝は、皇帝としての才能はなかったかもしれないが、狩りの才能はあったらしい。彼はそういうことをするべきだったし、彼もそれを愛していたのだから。つまり彼は皇帝向きではない。

このことから分かるように、帝国というものを1人の皇帝に任せ、維持し続けるのは非常に難しく思える。皇帝は息子を残さないといけないが、当時は子供の死亡率が高く、子供がみんな健康に成長することなんて珍しかった時代。その上、ようやく成長して生き残った息子に、徳性や皇帝としての素質、才能がなければ帝国はうまく機能しない。血統と才能という越えなければならない壁は、非常に大きいのだ。コンモドゥス帝以降は、皇帝の地位が競売されたりするなど、完全に混乱している様に見える時代もあったようだ。

暴君の存在が帝国の維持と繁栄を蝕んだというギボンの言葉はわかる気がする(まぁギボンの本を読んでいるのだからより、そう感じるにしても)。ただ、暴君だけが悪いとは思えないのが私の考えである。ちなみに、この辺りからは読み物として単純に楽しめるようになってきた。ギボンの物書きの才能が少し見えた気がする。

 

読書後はキムチを買いにスーパーへ出かけた。私はキムチだけは遠くのスーパーまで行って買っている。近くにおいしいキムチがないのだ。ほんとうは自転車で行きたかったが、使えなかったので、歩いて行った。汗をかいて帰宅した後は、シャワーを浴びた。汗をかいた後のシャワーの気持ちよさはなかなかのもの。最近はまだそこまで暑くないから、シャワー後すぐに汗をかくこともない。さっぱりした後は映画「ゴーン・ガール」を見た。これは学生だった時、当時の彼女と観てしまうというバッドチョイスをしてしまった思い出深い映画でもある。つまり、すでに一回見ているがまた見たくなったのだ。

 

以下、ネタバレを含む感想を書く。

基本的に女性は承認欲求が強く、男性はプライドが高い。その性質をより高めたのがエイミーとニックである。加えて、エイミーは完璧主義、ニックは紳士気取りだ。エイミーは頭もよく、”完璧なエイミー”という本を書いて商業的にも成功していた。そんな彼女からしたら、二、三流のライターであるニックと彼女は結婚した。

結婚当初、2年目まではうまくいっていた結婚生活だが、不幸が重なったことで、一転して結婚生活は最悪なものとなっていった。エイミーは頭がいいので、当然結婚生活とは何たるやは理解していたが、理解しただけでは成功させるのは難しい。実体験からの学びと努力が必要だ。実際、エイミーは結婚の理想と現実のギャップに苦しみ始める。一方のニックはというと、女性の気持ちを理解できず(これはすべての男性に当てはまる)、自分の気持ちを一方的に押し付けていたようだ。完璧主義と紳士気取りの悪い面がお互いに出てしまっている。ニックは更に、若い女性と浮気をしており、彼は決していい男ではない。

結婚生活とは、お互い偽りの自分を演じて、相手に寛容になり、努力していくものだ。彼らはお互いに自分を偽り続けることができていなかった。だからうまくいかなかった。もしかしたら、男女がうまくいく条件とは、その1つだけなのかもしれない。

それはすなわち、お互いが異なる生き物であることを理解し、そもそも互いに分かり合えないものと認識することだ。分かり合いたいのなら、同性の友達にその欲求をぶつけるべきだろう。もちろん結婚生活が上手くいっているときは、互いに分かり合えたような気がするだろうし、それがずっと続くと思うだろう。ニック夫婦も2年目まではそうだった。彼らがうまくいかなかった原因は、失業にあるとエイミーは考えている。ニックが失業したとき、ニックは家でゲームや無駄な買い物など、内にこもってそのストレスを発散していた。そこまでは別にいいと思うのだが、その後がまずかった。失業後の生活やお金、引っ越しなどの重要な出来事に関して、お互いに話し合わず独断で決めてしまったことが問題だった。

つまり、話し合うべきところで話し合わず、話し合う必要がないとこで、彼らは話し合い、ケンカした。ニックのストレス発散方法に、エイミーは文句を言うべきではなかったし、エイミーが不安や不満を抱えていたことをニックは察して、話を聞いてあげるべきだった。男性は自分の行動に口を出されるのを何より嫌うものだし(作中でもその描写がわかりやすく、ニック含め彼の父親などにも見られる)、女性は自分の話を何より(ただ黙って)聞いて欲しいし、いろいろ話してほしいと思うものだ。

この典型的な男女の違いを、互いに理解できないと、結婚はまずうまくいからないだろう。今時は、離婚は普通だし、これからはもっと離婚は増える気がする。それぐらい結婚生活が上手くいく夫婦というのは少ないのだ。昔は女性がただ男性の力に負けて耐えていた歴史があり、離婚なんてそんななかった。今は女性の力が増し、男女平等が叫ばれ、よもや女性優遇もなくはないと思う。

ニック夫婦はだめ夫婦の典型で、「ゴーン・ガール」はそれを分かりやすく示してくれた(エイミーは完全にサイコパスだが)。私は結婚をしていないので、解決策はわからないが、男は女の話をきちんと聞き、理解を示し、女は男のやること(やったこと)に口を出さなければ、それだけでうまく行くことが増えると私は思う。男は必要な時には女性に頼るだろうし、何も話さないから(相談しないから)と、男に不満を持ってはいけない。そういう生き物だ。逆に男は、常に女性の身なり等変化に気づき、反応して承認欲求を満たしてあげるべきだ。私の意見のように言ってしまったが、これはジョン・グレイの意見だ。

最後にタイトルの意味だが、「ゴーン・ガール」とはエイミーが失踪した意味もあるが、本当のエイミーを殺して、偽りのエイミーになったという意味だと思う。特に、エイミーが失踪から帰宅後の行動はまさに偽りの、”演者としての妻”という印象を強烈に与えてくれる。あのエイミーは、カッターでストーカー元カレを殺した時のエイミーと一緒だろう(気のある振りをして、ベッドに誘ったとき)。そんなエイミーとの子供を育てなくてはならないニックの気持ち、「彼女の頭を覗いてみたい」はわかる気がする。ラストシーンのエイミーの笑顔は鳥肌ものだった。

 

映画鑑賞後は、夜食(昨日と同じ)を食べ、また雑談した。といっても(英語だから)聞き専みたいな感じて、聞き取るのも少しラグがあるし、話すには圧倒的に練習が足らない。フラストレーションは相当なもので、部屋に戻ったら思わず壁を殴ってしまった。

これからはハードな英語勉強が必要だと、認識させてくれた。文法、語彙力、発音など、問題は多いが、少しずつやるしかない。正直言って落ち込んだ。

英語での雑談の難しさと、自分の英語力の低さに。